第6話

二人の保全課員は、空のジェットが収納してある位置まで、私たちを連れていった。ジェットは二つの車体が連結され一台となっていた。つまり二両編成である。

「じゃ、ちょっと動かしてみて・・・」先輩課員は後輩課員へ指示した。

車体にはモーターとかの動力源はない。頂点までリフトによって吊り上げられた後、重力に引かれ落ちていくだけだ。

後輩課員はジェット一両目の脇に立ち、車体の外側に取り付けてあるバーを両手でつかみ、引き戸を引くようにして、車体を進行方向へと引っ張った。ワゴン車の横扉を開け締めするように、とも表現できなくはない。ジェットはのろりと動いた。

A子さんの立場を演じる先輩課員は、ジェットの正面、つまり2本のレールパイプの間にある鉄板の上に立った。そして、両手をジェット正面に当て、前傾姿勢となった。壁に両手を当ててふくらはぎの筋肉をストレッチするような恰好《かっこう》に、よく似ている。

「きっと彼女は、こんな体勢でジェットを押し戻そうとしたんですよ。だけどすぐには止まらないから、このまま、後ずさりして・・・」と言いながら先輩課員は後退していった。そして「もう止めていいよ」と後輩課員に声を掛けてからゆっくりと尻餅をつき、鉄板の上に仰向きで寝転んだ。そして、両足をパイプの上に置き、左右の車輪に左右の靴底を当てがった。楔《くさび》を打つような状態である。

彼が履いているのは安全靴だった。すでに止まっている車輪をその安全靴の靴底で叩いてみせた。ジェットの車輪は硬質とはいえ合成樹脂なので金属音はせず、ゴンゴン、と鈍い音が響いた。

「こんな恰好《かっこう》で挟まれたあと、さらに進んでくる車輪にどんどん足を巻き込まれていったのでしょう」先輩課員は鉄板の上で仰向けのまま、脇に立っている私たちへ顔を向けた。

「悲惨だねえ。俺の足まで痛くなってきちゃったよ。そんなんじゃ、血もかなり飛び散ったんだろうねえ・・・」

「えっ?! 課長、昨日、現場を何度も見たのでは?」

血という言葉にぎくりとした私は、反射的に訊いた。

「うん。でも、俺が見たのは、救出後、結構、時間が経ってのことだから・・・ 血は片付けてしまったんじゃないのかな?」

「血なんて、一滴も落ちてませんでしたよ。車輪に巻き込まれたものの、かろうじて、足の皮膚は裂けなかったのでは? ユニフォームのズボンはかなり厚手の合成繊維だし・・・ 病院のほうでは、どう言ってました?」

先輩課員が逆に課長へ訊いた。

「うーん、それがね。病院に行ったら両親が激怒してて、詳しいこと、訊けなかった。足を切断せずに済むという話を聞いて、少しホッとしたこともあったけど・・・ なんにしても痛々しいねえ。もう、その恰好やめてよ」

寝転がっていた先輩課員は起き上がった。

「アッちゃん。あ、いや、樫見君。何か訊いておきたいことある?」

この課長の言葉で、保全課の二人は、私が労災事務の担当者であることが完全に分かったらしい。課長とやり取りしている間はチラホラとしか向けていなかった視線をしっかりと私へ固定した。

「えー・・・」

A子さんへのインタビューを担当するという覚悟は出来ていたものの、それ以外の人に対しての覚悟はまだだったので、私は躊躇《ちゅうちょ》した。だが、おそらくどれだけ深く堀り下げた質問ができるものかと興味を持ったのであろう。保全課員は、挑みかかるようにして私をみつめた。不思議にもその威圧感は逆に私の緊張を、ぱつんと音を立てるようにして断ち切ってくれた。今振り返って自己分析すれば、私は生来インタビューが得意なのにもかかわらず、事務仕事に埋もれ、自分ではその能力に気づいてなかったのだ。

「被災者も、安全靴を履いていたのでしょうか?」

「保全課でなくても、スリルライドの現場で働く者は全員、安全靴が義務づけられてますよ。ただ、施設管理部の安全靴は、見ての通りゴッつい安全靴だけど、彼らの安全靴は中に鉄板は入っていても外見はスニーカーのようなデザインです」

「つまり、安全性が低いということですか?」

「その辺はよく分からないけれど・・・ でも、所定の基準は満たしているのじゃないのかなあ。でなければ、安全靴として販売できないはずだし」

「いやあ、先輩。我々の履いている安全靴だって、そうとう丈夫だけれど、前進するジェットの車輪に、土踏まずの辺りから斜めに巻き込まれていったら、潰れてしまうかもしれませんよ。たとえ速度が落ちているとしてもね」後輩課員が意見を挟んだ。

「実際には、どのぐらいの速度なの?」課長が訊いた。

「車庫に進入してきた直後のスピードは、早足で歩く程度で、それが徐々に減速していきます。でも、本線で騒音をたてながら走っているジェットを一度でも見てしまうと、ゆっくりとした速さに感じてしまいます。それで、油断したのかもしれませんね」先輩課員がコメントした。そして、他にも質問がある?と、目で尋ねてきた。

「もし、どうしても、ジェットを人の手ですぐに止めたいと思った場合、何か手順はあるのですか?」

「ええ、ありますよ。さっき僕がやってみたのと逆をやるんです。こうやってジェットの脇に立って、車体の外側に取り付けてあるバーを両手で掴み、進行方向の逆に引っぱるんです。全体重を掛けてね。マニュアルにもイラスト付きで解説が出てますよ」後輩課員は実際にその恰好《かっこう》をしてみせてくれた。

「それにしても、なんで倒れたのかなあ。ただ後ずさりしていけばいいだろうに・・・」課長は独り言を言った。

「きっと、切り替えポイントの隙間につまづき、倒れてしまったのでしょうよ。つまづくと言っても、踵《かかと》から後ろ向きにでしょうけど・・・」

「え? そんな隙間、切り替えポイントにあったっけ?」

「構造上、周囲に少しは隙間ができますからね。見てみますか?」

私たちは、切り替えポイントがある位置まで戻った。たしかに、周囲には隙間があった。とはいえ、2センチ足らずの隙間であった。

ほんとうにA子さんはこんなに狭い隙間に踵《かかと》を引っ掛けたのだろうか? だが、いずれにしても、この付近で後ろ向きに倒れて尻餅をついたことには違いない。そこへ車体が覆い被さってきたのだ。なんと運が悪いのだろう。私はポイント周辺を恨めしく見つめた。

この私の思いに気づいたのだろうか? 保全課の後輩課員は再び語気を強めて言った。

「なんにしたって、マニュアル通り、横のバーを引っ張って止めていれば、事故にはならなかったのですよ。本人の不注意としか言えませんね、やっぱり」

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