第38話

月曜日。朝。労働基準監督署の担当官は、一人で来社した。

四十歳後半ぐらいの男性で、眼光鋭く、頭の回転は誰よりも速い感じだった。しかし、おそらくは、数多くの被災例を通じて人々の痛みを背負ってきたからなのだろう。むやみに会社を訴求するという態度ではなかった。

監督署の事務所からバトル遊園まで遠くないこともあり、担当官はすでに事故の日の夕方、現場を視察していた。だからさっそく、本部ビルの大会議室にて事故経緯および対策案の説明に入った。

バトル遊園側としては、課長と私の他に、事業本部長、ライド運営部長、そしてマネージャーが参加した。

担当官への事故経緯説明は、私に任された。もちろん緊張した。しかし、それを見て取った担当官が、明らかに私へ向けて発した微笑みで取り除いてくれた。課長たちは引き続き緊張していた。

最初に、K君が徹夜で編集してくれた映像を、DVDで再生した。担当官は映像を凝視した。一度再生を終えてから、コンピュータの画面表示の説明を行ない、二度目の再生をした。要請に応じ、さらに何度か再生した。

DVDのあと、事故の経緯について推理を述べた。各係の行動についても細かく説明した。担当官は、精緻な分析であり妥当性は高いだろう、と評価してくれた。

課長たちも、一安心した様子だった。が、これから最も肝心な再発防止案に入る。今となっては過去を取り返せない。だから、せめて未来を安全なものとする策に全力を注ぐのが当然。そのためにも、休憩を挟むことにした。

コーヒーを飲み終わり、再発防止案の説明に入った。

【案1】被災地点の周囲を目立つようにする(既に実施)。

【案2】運行管理コンピュータのタッチパネルの方式を変更する。

【案3】車庫内にモニターカメラを設置する。

【案4】テーブル周囲のホワイトボートを取り除き、見晴らしを良くする。

【案5】遊撃手である『待ち列誘導係』にも、『最終確認係』同様、無線式のヘッドセットフォーンを装着させる。

【案6】安全靴をより強固な仕様の物へと変更する。

ここまでが物(物体)に絡んだ対策案となるが、担当官は何もコメントしなかった。次からは人の行動に関する対策案だ。

【案7】教育係はよほどの事がない限り、新人から離れないことを周知徹底する。

【案8】新人教育は前半、会議室等、車庫以外の安全な場所で行なう。

この2点に対しても、担当官は引き続きノーコメントだったが、「どうぞそのままおやり下さい」といった顔つきをしてみせたように思えた。私自身、この2点は迫力に欠く対策だと昨日から感じていたかせいだろうか・・・ とはいえ、やって悪いという事ではない。そのため、資料から勝手に削除したりはしていなかった。

【案9】新人教育では一番最初に、車庫内でのジェットの正しい止め方の講義を行なう。

担当官はここで待ったをかけ、痛烈な指摘をした。

「今回の事故以前にも、『車庫内でのジェットの正しい止め方』は講義してきたわけですよね?」

「はい。」マネージャーが答えた。

「ということは、案9は、単に講義の順番を変えるだけとなりますよね?」

「はい。」

「ならば、この案は撤回したほうが、先々のためになるでしょう」

「え?・・・」

私たちはどう応じていいか分からなかった。それを見て取った担当官は説明をした。

「危険があるから一番最初に講義する。そうした観点は否定されるものではありません。また、必ず教育しなければならないことも確かです。しかし、車庫内の動作より、本線の運行に関わる諸動作のほうが、よほど危険ではありませんか? たとえば高所作業一つとっても、そうです。案9は、今回の事故だけに気を取らわれ過ぎです。そうしていると、先々、別種の大きな事故を招きかねません。今回の件は結果的には重大災害となりましたが、そもそもの危険性としては、高所作業ではないだけに、相対的に低めと判断していいでしょう」

私たちは誰も反論しなかった。マネージャーに至っては顔を赤らめていた。私も心の内で赤面した。

【案10】新人がライドに来た時には、まず全ポジションへ紹介し顔を知ってもらう。

「それは積極的にやってください。あと、『訓練中』と書いた腕章をお作りになってはいかがですか? ユニフォームのデザインに合うもので結構ですので。あと、顔写真を、朝礼会場の壁などに掲示しておく方法もありますので、ご参考に」

【案11】前のライドでベテランであっても、新しいライドでは完全に新人扱いする。

「それは大切なことですね。本人に油断させないためにも、是非そうして下さい」

【案12】マニュアルは、スタッフの行動に関する手順だけを抽出したコンパクトな冊子を作り、スタッフ全員に渡す。

「うーむ。もしそうするのであれば、改訂の際、コンパクトにしたマニュアルと原本のマニュアルが必ず一致するよう、しっかりと文書管理をして下さいね。そうしないと、手順の二重化、いわゆるダブルスタンダード状態に陥り、連携上の事故が起きかねません。実際、マスコミに取り沙汰されるような大きな事故は、大抵と言ってもいいほど、ダブルスタンダード。ともすると、トリプルスタンダード状況下で発生していますから・・・ くれぐれも気をつけてください」

【案13】安全靴を過信しないように教育する。

【案14】止める時のみならず、押し戻す時も、ジェットの横のバーを引っ張って動かすようルールを定める。

【案15】合図を送った場合、了解の合図が返ってこない限り、次の手順へと進まないよう徹底する。

私たちの考えた案は以上だった。

担当官は、案13以降については個別の見解は示さなかった。しかし、大局的な観点から、厳しい指摘をした。

「各ポジションの連携方法について、すでにご説明頂いていますが、全般に、指示関係が不明瞭と言えます。職位としては対等となる押し出し式のローテーション。それゆえ、連携の際、『依頼する』という表現にて作業手順が定められていることが多いのでしょう。

しかし、この運営方式においては、それぞれのポジションが、独自の職務特性を持っています。そうである以上、ポジション単位ごとに固有の職務責任があり、その責任を果たすための権限も、単位ごとにあることになります。つまり、その権限において他のポジションへ『指示する』ことが、職務責任を果たす上で必要な行為となります。

『依頼する』のでは、相手に対する強制力を持たず、したがい権限を行使していないことになります。指示をする側の職務と、指示される側の職務。『依頼』と『指示』。これらは意味が異なることを前提に、連携する両者の関係を、作業ごとに見直してみて下さい。

貴社においてほとんどがパートタイマーの人たちであることは理解していますが、いったん職務に就いたら、その雇用形態に関わらず、それなりに責任を負い、それなりの権限が付与される・・・ パートタイマーだからと言って責任も一切ない権限も一切ない、ということはありえないのです。このことを忘れないで下さい」

担当官は続けた。

「ご商売の上で、沢山のお客さんをこなす必要があることはよく理解できます。

しかし、些細な事でも安全上の懸念があれば、全域停止を掛けるべきではないでしょうか。それによって大きな事故を防止できるのですから・・・

もっとも、労働安全以外については、私の権限範囲ではありません。が、労働者の安全を守れなくして、お客様の安全を守ることもできないのでは?・・・ まあ、労災であろうとなかろうと、安全上少しでも疑いがあったら、ただちに非常停止ボタンを押すことをお勧めします」

これでアドバイスが全て終わった。担当官は事故当日に続く二度目の現場視察を行い、帰っていった。そして、労災の届け出は、翌週、正式に受理された。営業停止は、杞憂に終わった。

結局、私は、U子からの情報、つまりA子さんがバトルボートにいた時に、憧れの男性に見習って水路に飛び込みボートを正面から止めたという逸話は、私の胸の内に留めた。が、もしそれを話すとしても、どのように話していいのか、見当がつかない。まさか、U子が私に話したと同じようにして話すことはできまい。それでは、単なる噂好きの人間による、いい加減な話と誤解されてしまう。しかし、私は今でも、このような経験さえなければA子さんの労災は起きなかったはず、と信じてやまない。

ミッションを終えた私は、一気呵成に奇異な経験をしたしたせいだろう。物事の見方がすっかり変わり、つい先日まではいくらでもこなすことができた事務仕事が、全く手につかなくなってしまった。