第31話

管制情報室へ向かうバックヤード通路。

行き交った何人もの従業員が、顔見知りでもないのに会釈してくれた。だが、激しいジレンマに呑み込まれていた私は、ろくに返礼しなかった。

管制情報室の入り口に着いた。暗証番号を教えてもらっていない私は、インターフォーンでK君を呼び、中へ入れてもらった。

「どう思う?」

管制情報室の正社員がまばらとなる中、ブースに残って仕事をしているK君。私は、彼が請負会社の立場であることをすっかり忘れ、意見を求めた。

「『全域停止後の対応が大変』というのは、俺、よーく分かるよ」

「バトルジェットで働いた経験がないのに?」

「うん。ま、百聞は一見にしかず。今、見せてあげるから、待ってね・・・」

K君はキーボードとマウスを操作して、1台の液晶モニターに、白黒の画面を出した。画面を四分割したマルチ表示だった。さらにK君は操作をして、もう3台の液晶モニターに同様の画面を出した。合計4台のモニターに16の小画面。それらは、バトルジェット本線の監視映像だった。順調に運行されている様子が映し出されていて、画面の隅には現在の日付・時刻が表示されていた。

「いま映ってるのは、見せたいのとは違うからね。俺が見せたいのは、えーっと、先月の第四日曜のはずだから、まだ残っていると思うけど・・・」K君はそう言いながら操作を続けた。

「あった、あった。ようし! じゃ、見てね。スタート!」K君はキーボードのリターンキーをぱんと音を立てて叩いた。

それは、バトルジェットに全域停止ブレーキが掛かった時の映像記録だった。

前触れはない。

本線各所で全ジェットがいきなり停止。即時、全館、真昼のように点灯。再生される映像は音無しだが、マニュアル通り「座席に座ったままお待ち下さい」との館内放送が流れているはずだ。乗客は不愉快な顔をするどころか、笑顔でワイワイがやがやと賑やかな様子。本線の途中で停止するなどという滅多にない経験を撮影しようとするのだろう、写真のフラッシュが次々と光る。

そこへ、スタッフたちがレール脇に併設されている非常用の階段や通路を、急ぎ足で昇っていく。幅は狭い。いわゆるキャットウォークだ。各ジェットに辿り着いたスタッフたちは、次々と乗客をキャットウォークへ降ろし、下へ下へと機敏に誘導していく。誘導中もフラッシュは止まない。さすが、スリルが売りのバトルジェットに乗るだけのお客様、といったところだろうか・・・

「どう? 俺がスタッフだったら、こんな避難誘導、たまであっても勘弁だけど・・・」K君は言った。

スタッフたちの機敏な行動に対する感動の情と尊敬の念が増幅した私は、言葉を失ってしまった。

「樫見だって、無理だろ? 俺と同じように、高所恐怖症だもんね・・・」

そう言われてみれば、高校時代のダブルデートの際、四人で乗った日本一高い観覧車のゴンドラでK君と私はひどく緊張し、それぞれのパートナーに笑われたことを思い出した。

「要所に網が張ってあるから、キャットウォークから落ちても、サーカスのブランコの人のように助かるのかもしれないけど・・・ それにしても、こんなに高い所の狭い通路。猫じゃあるまいし。だから、バトルジェットのチーフが『全域停止後の対応が大変』って言うの、よーく分かるよ。お客さんがひどく舞い上がっているから、なおさらね・・・」

「たしかに、大変だなあ・・・ でも、そもそも安全を確保するために、全域ブレーキが作動するわけでしょう?」

「そうだよ。今の映像で見たケースでも、どうやら1区間に2台のジェットが入って、その追突を防止するために自動停止したようだし・・・ 安全確保の目的は達成されたわけだ」

「うーん・・・」

「まあ、お客さんへの対応をするライド運営部と、機械の保守をしている施設運営部では、同じ会社ながらも対立的な側面があるということだよ。いわばジレンマ的な関係さ」

「そうねえ。まさにジレンマだわ・・・」

私は腕を組み深く溜息をついた。

「おい、ところで、樫見。どんな作業を依頼するために、来たんだ?」

「あ、ごめんなさい。肝心な事、まだ言ってなかったわね。でも、今の映像は、とても参考になったわ。ありがとう」

「お安い御用さ!」

「で、作業を依頼しに来たわけじゃないの。さっき話したタッチパネルのこと、専門家の意見を聞きたくて・・・」

「いやあ、俺、ソフトウエア専門だから・・・ パネルの仕様についてはハードウエアの課題なので保証できないけど、バトルジェットのチーフの説明、妥当だと思うよ」

「瞬間に2度触れたと同じ結果となってしまった、という点についてよ、私が確認したいのは・・・」

「うん。わかっているよ。まあ、それは理屈の上では、起こり得ると思うよ。と言っても、実際には、たぶんよほど肩に力が入っていたとか、それとも・・・」

「それとも?」

「んー、いや。想像が飛躍しすぎかな・・・」

「え? どんな想像? いちおう教えて」

「そうお?・・・ じゃ、言うけど、それは静電気!」

「静電気?・・・」

「いやあ、やっぱ、飛躍しすぎだなあ・・・」

「いいのよ。それより、もっと具体的に話して!」

「ぱちぱちって感じで、指とパネルの間で、微量ながらも電気が走って・・・ ほら、乾燥した洗濯物やセーターなんかでよく起きるじゃない。あんな感じでさあ。いや、駄目だ。証明する手立てもないし・・・」

「そう。証明できないのなら、仮説のままだわね・・・ あっ!? でも、静電気の発生そのものは証明できないとしても、もしかして・・・」

「おっ、そうか! コンピュータの作動データを、見ればいいのか!」

「そうよ!」

「原因が静電気かどうかは別にしても、あの現象の有無は確認できるものな。 さすが樫見、鋭いじゃん! じゃ、さっそく見てみよう!」

そう言ったK君は、データをディスプレーに表示した。

departure habit

departure inhibit

「このコンピュータ用語のdeparture habitというやつが、自動発進システムの再開されている状態を表していて、departure inhibitのほうが自動発進システムが解除されている状態を表しているんだけど。ま、直訳するとhabitは『くせ』『習慣』で、『再開』という意味じゃないけど・・・」

「次々と自動的に出発させるシステム、つまり出発させるのを癖とするシステムを再開させるので、habitという原語となっているわけね」

「きっとそうだろうね。で、inhibitのほうは、本来、『禁止』という意味らしいけど・・・」

「そうなの・・・」

「departure を inhibit する・・・ つまり、出発を禁止する・・・ それは、すわなち自動発進システムを稼働させないということなので、自動発進システムを解除する・・・ といったことなんだろうね、今よく考えてみれば。ま、俺はプログラミングした人間じゃないから鵜呑みにするしかないけどね・・・」

「で、『モニター係』が操作するディプレーでは、departure habitの状態の時に『解除』と表示されていて、departure inhabitの状態の時に『再開』と表示されるわけね・・・」

「うん、そうだよ。『モニター係』によるディプレー操作は、コンピュータに対するコマンドだから、『解除』の表示は『解除せよ』の意味になるし、『再開』の表示は『再開せよ』の意味になるからね。ま、ちょっとややこしいと言えばややこしいけど・・・」

「そうねえ・・・ で、英字の横にあるのは、日付と時刻ね」

「そうだよ。ほんで、労災が発生した時刻は?」

「午後2時頃よ」

「一昨日の14時頃ということだね・・・」K君は画面をスクロールさせた。画面の英字と数字は、目まいがしそうな速さで上から下へ移動していった。

「このあたりだな。えーっと・・・」K君はスクロールのスピードを遅くしていった。

「あっ、こいつかな?・・・」

K君はスクロールを止め、静止した画面をじっと見つめた。私も彼に続いて目をこらした。

「あ、ここからここまで。それと、ここからここまでが・・・」

「ああ、そういうことになる。プリントアウトするね」

改めて紙で見てみると、14時02分の前後、小数点2桁でhabitとinhibitが小刻みに繰り返されるところが2箇所あった。

「habitとinhibitが瞬時繰り返された結果、inhabitの状態がしばらく続いていることになっているから、えー、つまり・・・」

「『モニター係』にしてみれば『再開』、つまり『再開せよ』の表示のままのように見えるということね?」

「そ、そうだね!」

「それならば『モニター係』に就いていた彼女の話と、一致するわ。あ、でも、彼女が管制情報室の当番デスクに内線で問い合わせたら、異常なしとの返事だった・・・」

「コンピュータにとっては、これは異常じゃないってば・・・ チーフもそう説明したろ? だから、当番デスクは気づかなかったんだよ、きっと」

「異常ならば自動的に全域停止が掛かるはず。そう思い込んでいたので、細かい時刻の表示を見過ごしてしまったのかしら?」

「きっと、そうなんだろうねえ・・・ ともあれ、この直後、車庫内で労災が発生したことになる。1度なら別として、こんな現象が2度続くなんて、百年に1回もない確率だろうから。もし本当に、この現象が労災の原因ならば、A子さん、とんでもなく運が悪かったことになるねえ・・・」

K君と別れ、管制制御室から外《おもて》へ出た。陽は暮れていた。巡回バスの停車場に行った。バスは出てしまったばかりだった。

疲れた。もう家に帰りたい。

私は園内を横切って本部ビルへ戻ることにした。バックヤードを回っていくよりショートカットだからである。取締役や管理職は私服でも許されるが、一般職は、ユニフォームを着なければならない。ルール違反となるが、カジュアルなデザインの夏服なだけに、暗くてお客様との判別がつかないだろう。ネームプレートを外し、私は園内に入った。

海側から強めの夜風が吹き、少しは涼しくなっていた園内。夕方以降しか使えない格安のナイトチケットが大量に売れたのであろう。異常としか表現できない混雑だった。夜間の戦闘をテーマとしたパレードと花火を観に繰り出してきた人たちが中心のはずだ。私も何度か観たことがある。人々の大歓声も含め、それは壮絶だった。

火薬の技術は、大昔の中国、軍事目的で開発された。これは万人が知るところ。それが転用され、鑑賞用の花火として進化を続けてきたわけだが、21世紀になっても工場や現場の爆発事故で技師や作業員が亡くなる。こうした犠牲によって育まれてきた技術の結晶が、無数の歓声に包まれる。私も歓声をあげてきた人間の一人だが、あまりもの美しさに、そのまま彼岸へと導かれてしまいそうなほど魅せられた一人でもあった。

ルール違反してまでショートカットをしたつもりが、結局、パレード直前の大混雑に巻き込まれ、かえって時間が掛かってしまった。誰もいない本部ビルの明かりはほとんど消され、幽霊屋敷のように薄暗くなっていた。

課長の携帯へ電話を掛けた。課長はまだ事業部長と専務の家にいた。どうやら報告会が慰労会へと移行したようだ。明日の朝は、直接、車庫で合流することになり、電話を切った。

帰宅した。十時を回っていた。

家族揃っての将棋大会は、金曜日の夜だけと決まっていた。だから土曜の今日は父も母も食事を済ませていた。夏には4時過ぎに起きて早朝ウォーキングをする父は、そのぶん夜はめっぽう弱かった。しかし、朝も強い・夜も強い・お酒も強い、三強の母に付き合って口にしたビールが効いてか、ソファの上でうとうとしていた。

母は父を寝室へ送り込み、私のコップへ余ったビールを注ぎ、炊き込み御飯を盛ってくれた。

叔父によるレクチャーの成果はあったか、訊かれた。私は「あったわ」と一言だけ答えるのが精一杯で、シャワーを浴びてベッドへ飛び込んだ。