第3話 安全管理小説「ヒューマンエラー」

課長は社有車を運転し、私を病院まで運んでくれた。地元の救急指定病院だったから、すぐに着いた。課長は車から降りなかった。車の中で待っていると言う。A子さんに付き添っているであろう両親に気がひけたのだ。

いざ一人病室へ向かう段になると少し心細くもなったが、利己的な動機※1が背中を押した。

しかし、A子さんの個室へ片足を踏み入れたとたん、私は背中から倒れそうになった。彼女の痛々しい姿と、付き添う両親の必死の姿が、私の動機を吹き飛ばしたのだ。

挿絵制作:アイデアファクトリー株式会社

このあと、事故の全容を推理し切るまでの三日間、いったい何が私の背中を押したのだろう? 被災者とその家族に対する同情か? 正義感か? いや、私を事務仕事に縛りつけている会社に対する鬱積だろうか?・・・ 分からない。ただ、これまで全く経験のないほど大きなエネルギーが沸いたことには違いなかった。※2

「どうだった? なにか分かった?」車へ戻った私に、課長は報告を求めた。

「いいえ、何も分かりませんでした・・・」鎮痛剤の影響もあってか、A子さんは昏睡状態にあったのだ。

私の権限が低いからだろうか。女性だからであろうか。ご両親は私には喰って掛かって来なかった。それどころか逆に、「ご苦労さま」とまで言ってくれた。この声掛けに励まされ「目撃者がいない」という情報だけ伝えることができた。これで、事故の経緯はA子さん本人へ訊くしかないという現実を、ご両親は自動的に理解した。会社側からの説明を強く求めていただけに、二人は肩を落とした。父親は大きく溜息をついた後、A子さんが目覚めたら連絡をくれると約束した。私は自分の携帯電話番号を残して病室を去った。

「そうだろうなあ、鎮痛剤だけじゃなく、鎮静剤も投与してるかもしれないしなあ・・・」

課長はクーラーの効いた車内でハンドルに両手を載せたまま茫然とした。

私もどうしていいか見当つかず、考え込んだ。たとえ半歩であっても踏み出すこと※3はできないものだろうか。人間へのインタビューができないなら、何か”物”について調べることだけでも※4・・・

そうだ!

「課長。どうでしょう、お父さんから連絡があるまで、現場とマニュアルを照合してみませんか?」

「そうかあ、昨日、現場のほうは何度も見たけれど、バトルジェットの運営マニュアルは確認しなかった。でも、実際、マニュアルがあるのかなあ・・・」

「それは当然あるでしょう」

「え? アッちゃん、バトルジェットのマニュアル、見たことあるの?」

「いいえ。まだ見たことはありませんが、今どき、マニュアルがない施設だなんて・・・」

前にいたカフェチェーン事業部でさえ、簡単なものとはいえ、店舗運営マニュアルがあった。ましてや大掛かりな機械操作や安全管理を行なう必要があるスリルライド。マニュアルがないはずがない。

課長は車を発進させた。事業部の本部ビルにある自分たちのオフィスには戻らなかった。遊園地全施設のバックヤードにつながっている通用門から入り、社有車専用の駐車スペースに車を止めた。


※1:「動機」の定義:人間の言動を推し進める心理要因。なお、それは利己的な場合もあれば、利他的な場合もある。

※2:主人公アッちゃんの利己的動機は一度綺麗に吹き飛び、今度は別の動機が沸いたことになる。つまり、或る動機が、別の動機に入れ替わったわけだ。こういう心の推移は、現実世界の人間においても、起き得る、と筆者は判断する。

※3:まずは一歩でも半歩でもいいから踏み出すことが大切。踏み出せばそれなりに道は開けるが、踏み出さなければ道は開けない。目指すものが遠くにあればあるほど、大きければ大きいほど、初めの一歩なり半歩なりをさっそく踏み出そう。

※4:人へのインタビューは、対象者の都合や心情にも配慮する必要があり、そのため順調にいかない場合がある。また、応じてくれたものの、不的確な情報を掴まされる場合もある。これに比べ、”物”についての調査は、順調に進めやすい。半歩でもいいから踏み出そうとした主人公アッちゃんが、物について調べようと思い立ったことは、当然の成り行きである。

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