第15話

家に着いた。

両親の待つ私の一軒家は、大昔ならば海岸ぎりぎりとなる。湾岸の広大な埋め立て地帯にあるバトル遊園からは、バス一本で帰宅できる位置関係にあった。

両親は、夕食の準備をしながらもまだ食べず、嬉しそうに私を待っていた。

というのも、今日は金曜日。特別区の職員である父。近所の銀行でパートタイムを続けながら家計を助けてきた母。毎週金曜日の晩は、大学時代から下宿暮らしの兄を除き、家族揃ってビールで小鉢を何品か楽しんだ後、父と私のヘボ将棋に母が横槍を入れるというパターンが定着していたからである。

何もないのに一人で飲む・・・というほど好きではなかったが、私は、母方の血筋でお酒は強い部類だった。だから、アルコールも将棋も下手の横好きである父が酔ってしまい、復讐戦のピンチヒッターに母が指名されても楽々応戦できた。

しかし、今晩は無理だった。事故調査の疲れが出た。第二試合の序盤、風鈴が夜風でささやく窓際のソファに倒れ込んで、ステテコのままいびきをかき始めた父。その父を押し退けてでもソファを占領したくなった。

張り切って交替した母をがっかりさせまいと、将棋台の前で踏ん張ったが、気づかれてしまった。

私が病気になったわけではないことは、さすが実の母親、即時理解した。が、この私に睡魔が襲うという、我が家のヘボ将棋大会史上初めての事態だけに、心配そうに訊いてきた。

将棋をやめた母は冷蔵庫からしっかり冷えた麦茶を持ってきてくれた。それで多少頭の回転が戻った私は、重大な労災が発生したこと、その解明に立ち往生していることを、周辺情報をかいつまみながら話した。

「隣り町の叔父さんに相談してみたらどう?」話し終えた私へ母が言った。

そうか! 隣り町の叔父さんか!・・・

小さい時からずっと気にかけてもらっている母の弟にも関わらず、言われるまで全く思い浮かばなかった。姓は島津といい、下積みが長いベテラン刑事なのである。

「でも、夜分に悪いわ・・・」

どのみち隣り町の自宅に帰らなければならないことだし、そもそも徹夜もありうる仕事柄。勤務時間中でない限り構わないと言い、母はかまわず叔父の携帯電話へかけた。電話を切った母は、10分もしないうちに来るだろうと言った。偶然、いや当然、界隈の居酒屋で酒を飲んでいたようである。

実は、三年前に奥さんを病気で亡くし、勤務でない夜は、夕食を兼ねてお気に入りの居酒屋で過ごすことが増えてきたのである。子供は同居していたが、大学院生の男の子一人きりで、父親のために夕食を作り自宅で待っているなどいうことはなかった。そのため、一、二ケ月に一度は、実の姉である私の母の料理を楽しみに、叔父は来訪していた。

私が二階の自室へ戻り、叔父の前でも恥ずかしくない服に着替えていると、前の道にタクシーが止まった。すでに相当飲んでいるだろうし、古傷も痛むらしい。ふらつきながら足をひきずり玄関へと向かう叔父の姿を窓からのぞいた後、すでに寝室へ移った父のいびきを耳にしながら私は階下へ戻った。

さっそく私は、自分が置かれている状況を話した。すぐに了解した叔父は、麦茶をがぶ飲みした上、母が立てた濃いコーヒーを続けておかわりし、酔いを覚まそうと必死になってくれた。というのも、明日から海外出張なため、しばらく会うことができないだからだ。盗品の大規模な売買に絡んだ情報が飛び込み、情報収集に行くことになったという。

「さあ、始めようか・・・」

叔父の準備ができた。私もブラックで飲んだコーヒーのおかげで眠気が飛んでいた。

寝る前にまた目を通してみようと思い、パソコンで作成した一覧表と、マニュアルに添付されていた図表類のコピーを家へ持ち帰っていたので、それを応接テーブルに広げ、詳細な説明をした。

「まずは、表を使っての整理の仕方についてだが・・・」

説明を聞き終えた叔父は、一般論のレクチャーから始めた。が、聞いてみれば、学校時代に何度も教わってきた情報収集のポイントだった。

要は、1H5W。

「いつ」「どこで」「誰が」「なぜ」「何を」「どのように」を抜け落ちなく押さえること。今回は、おそらく相当短い時間の中、事故は推移したのであろうから、特に「いつ」は正確に掴む。

「どこで」についても、ただ「車庫内で」とかではなく、例えば「車庫内の切り替えポイントの手前3メートル21センチ」のようにして精緻に掴む。

「誰が」については、たとえば「○○課が」とか、部署単位で止めず「○○課の課長、○田○夫さん」まで掴む。個人の責任を明確にするためだ。

「なぜ」については、「建前の理由を鵜呑みにすることのないように・・・」と叔父は注意した。私利私欲、見栄、動揺、その場限りの思いつき、失敗の挽回、隠蔽、他者への苛立ち、ねたみ、腹いせ、等々。どろどろした要素の有無を見極めれば、建前を見破ることができ、鵜呑みせずに済む。

「どのように」については、作業手順の記述がすでに高度なレベルに達していると褒めてくれた。私は、保全課員やマネージャーやチーフの説明、そして分かりやすいマニュアルのおかげだと言いわけした。が、分析した上で整理する人間がいなければ、いくら貴重な情報でも土くれ同然となってしまうと叔父は言い、私を励ましてくれた。

1H5Wのレクチャーの後、引き続き一般論であったが、「物事の見え方」について話してくれた。

「ともかく、同じ現象を観ていても、人によって見え方が異なることがよくある。それどころか、同じ人間が同じ現象を二度見たとして、一度目と二度目でがらりと違って見えることすらある。こうした現実に、くれぐれも振り回されないようにね」

「はい。分かりました。でも、どうしたら振り回されないで済むのかな?・・・」

「事実を掴み、その範囲内でしか、断定的な判断は行なわない。この範囲を超える場合は、あくまでも『であろう』扱い、つまり推理として扱い、決して断定しない。こうした姿勢に徹することだよ」

「はい」

「ただし、それだけに、事実についての情報が少ないと、真実が遠のく。どうにか想像できたとしても、ぼんやりとしたものになる。だから、事実についての情報は、どんなに些細な事でもいいから、集められるだけ集め、整理しておく。これが大切だ。その点、今日のアッちゃんの情報収集、初日なりに上出来だと思うよ」

「ありがとう、叔父さん。でも、事実が事実であること、どうやって確認したらいいの?」

「物証が一番だ。もっとも、隠蔽工作されていないという大前提に立っての話だけどね・・・」

「物証が不可能な場合は?」

「となると、人の証言になる。ところが、さっき言ったように、人の見え方は異なる場合、変わってしまう場合がある。だから、複数の人間の見方が一致する点を探すかたちで検証をする。が、それであっても、『事実である可能性が高まった』ということで、『事実だ』と断定できるわけではない。つまり、いつまで経っても『事実であろう』状態が続くわけだ。人の話なんて、所詮そんなものさ・・・」

「人の証言しかない場合には、『事実であろう事』を組み合わせて、『真実であろう事』を想像することになるわけですね?」

「おっ!いいところ突いてきたね。その取り組み姿勢、大切にね」

「ええ。それにしても、人の話が事実かどうか、確認する基準があればいいのになあ・・・」

「基準とまではいかないが、対立する権益の両者に共通する話は、事実である可能性が高いと言えるよ。たとえば、第二次大戦でナチスドイツはソ連とも激しい戦いをしたわけが、両者首脳となるヒットラーとスターリンが二人とも『お風呂につかるのは気持ちいい』と話したならば、それは事実である可能性が高い、と言った具合さ。ま、この例そのもののは冗談みたいだが、これを逆説的な教訓として肝に命じることもできる」

「というと?」

「同じ権益下の人間ばかり集めて証言を取っても、事実と異なる方向で一致する可能性があるから要注意・・・、という教訓さ」

「互いにかばいあったり、そのために口裏を合わせたりするということですか?」

「そう。しかし、意識的・積極的にそうしなくても、なんとなく一方向に話がなびいてしまうことはよくある」

「潜在的な集団心理でしょうか?」

「まあ、そう言った類いのものだろうよ」

「それを乗り越えて事実に近づく手立てはないものでしょうか・・・」

「徹底的な分析。それによって、どんどん具体化していくに尽きるね。さて、俺たちも抽象的な話はここまでとして・・・」

いよいよ叔父と私は事故そのものの話に入った。

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