セクション4 ヒューマンエラー・概論 -1『概念論』コース000002

セクション4
「『悪意のある過ち』とヒューマンエラーの狭間」


4-1「悪意のある過ちとヒューマンエラーの狭間」

前セクションにて確認した「悪意のある過ち」とは、「その結果深刻な事態が起きることを予見しているにもかかわらず、誰かが被害に遭うことを期待し、問題を放置する行為」とした。

かたやヒューマンエラーは、「危ないと分かっていながらも、つい犯してしまう過ち、うっかり犯してしまう過ち」とした。

そこで、私は、「ヒューマンエラー」と「悪意のある過ち」の狭間に、両者に属さない様々なケースが起き得ると想像する。下記にそのケースを例えとしてあげる。※1 (ケースの“A”はセクション3にてすでに用いているので、ケースの“B”から始める)

ケースB:人が行き交いする施設に勤務する職員が、不具合を発見し、そのまま放置すれば事故・災害が起きる可能性があると思い、もし事故・災害が起きたなら誰かしらが負傷すると予想したものの、「自分が怪我するわけじゃないから、まあいいか」とばかり報告せず、その結果として誰かが負傷してしまう。

ケースC:人が行き交いする施設に勤務する職員が、不具合を発見し、そのまま放置すれば事故・災害が起きる可能性があると思い、もし事故・災害が起きたなら誰かしらが負傷すると予想したものの、不具合を直す担当者・担当部署への報告が面倒くさく感じられたので報告せず、その結果として誰かが負傷してしまう。

ケースD:人が行き交いする施設に勤務する職員が、施設の不具合を発見し、そのまま放置すれば事故・災害が起きる可能性があると思い、もし事故・災害が起きたなら誰かしらが負傷すると予想したものの、過労のために、不具合を直す担当者・担当部署への報告する気力が起きず、その結果として誰かが負傷してしまう。

ケースE:人が行き交いする施設に勤務する職員が、施設の不具合を発見し、そのまま放置すれば事故・災害が起きる可能性があると思い、もし事故・災害が起きたなら誰かしらが負傷すると予想したものの、その他諸々の仕事で忙しいために、不具合を直す担当者・担当部署への報告することを後回しにしてしまい、その結果として誰かが負傷してしまう。

ケースF:人が行き交いする施設に勤務する職員なのにもかかわらず、施設の不具合を認識する能力が不足していたため、施設の不具合に遭遇しながらも、それを不具合と認識できず、不具合が放置され、その結果として誰かが負傷してしまう。

ケースG:人が行き交いする施設に勤務する職員なのにもかかわらず、施設の不具合に関する知識が不足していたため、施設の不具合に遭遇しながらもそれを不具合と認識できず、不具合が放置され、その結果として誰かが負傷してしまう。


4-2「さらに無数とも言える『狭間のケース』」

上述のケースの他にも表現の仕方を含めれば、悪意のある過ちとヒューマンエラーの狭間に起き得るケースは、無数とすら言えるほど様々であろう。

たとえば、精神の病いにより当人に善悪を識別できる能力を喪失していれば、たとえ意図的に事故・災害を導いたとしても『悪意のある過ち』とは言い切れず、かと言って、当コース定義のヒューマンエラーに該当するわけでもない。※2

睡眠不足で居眠りをし事故・災害を招いてしまった場合も『悪意のある過ち』とは言えず、当コース定義のヒューマンエラーにも該当しない。※2

誤った情報や知識・更新されていない情報や知識等により、実際には危険なのに「安全だ」と思い込んでしまったことにより事故・災害としまった場合も『悪意のある過ち』ではないし、当コース定義のヒューマンエラーにも該当しない。※2

ここまでは個人が引き起こすケースをたとえとして出してきたが、たとえば或る組織が生産効率とか売上高とか利益率とかのために無理な業務運営を継続したことにより事故・災害を導いたとしても、『悪意のある過ち』とは言い切れず、当コース定義のヒューマンエラーに該当するわけでもない。※2

或る組織において、安全についての理念が希薄だったり・方針が不明瞭だったりしたことにより、事故・災害を導いたとしても、『悪意のある過ち』とは言い切れず、当コース定義のヒューマンエラーに該当するわけでもない。※2

「狭間」は「狭い間」と書くにもかかわらず、そこに無数のケースが存在し得るとするのは変かもしれないが、ただ「間」とすれば何か「間が抜けた」感じがするので、やはり、あえて「狭間」と呼ぶ。
が、ともかく、『悪意のある過ち』とヒューマンエラーの狭間には、BCDEFGのみならず様々なケースが起き得るとして、話を進めていきたい。


4-3「『狭間のケース』の便宜的名称」

前述のケースを便宜的に対し名称をつければ次の通り。
ケースBは「他人事という意識が原因の過ち」
ケースCは「面倒くささが原因の過ち」
ケースDは「過労による気力喪失が原因の過ち」
ケースEは「忙しさが原因の過ち」
ケースFは「能力不足が原因の過ち」
ケースGは「知識不足が原因の過ち」

便宜的ながらも、こうやって様態を簡略化した名称をつけることによって、それなりに対策が浮かび上がってきたように見えると思う。たとえば、ケースBに対しては「他人事という意識をなくす」、ケースCに対しては「面倒臭くないようにする」等々、いったん原因とみなした点を取り除く言い回しをすれば、それが対策であるように見えて自然である。

しかし、実際には、なぜ他人事という意識になってしまうのか、なぜ面倒くさいのか、それぞれのさらなる原因を掴まなくては、具体的な対策を立てることはできない。だから、上述はあくまでも名称をつける上で便宜的に原因という言葉を用いただけと解釈して頂きたい。ともかく、原因を生んだ原因、そのまた原因を生んだ原因、さらにそのまた原因・・・と、行き着くところまで行かないと、対策を具体的に検討するステップに進むことができない場合もあるし、原因が複数という場合もある。上述のケース提示だけでは到底不足だ。ほんの一例である。

なお、原因論・対策論やケーススタディは、次期の別コースとして展開し、ここでは概念論に徹する。


※1:
これらケースの記述においても、私の文章作成の力量の限界により、説明文中の言い回しの時勢が不統一であることを了解頂きたい。

※2:
「ヒューマンファクター」と呼ぶのは、一向に構わない。


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