セクション1 ヒューマンエラー・概論 -1『概念論』コース000002

セクション1
「『ヒューマンエラー』シリーズ・コース開講の目的」

1-1「ヒューマンエラーを扱う背景」

科学技術の加速的進歩により各種機器・設備・装置その他ハードウエアの性能は高まる一方である。当然、性能には、利便性のみならず、安全性も含まれる。安全性抜きで性能の優劣を論じる場面は、マニアどうしの趣味上の会話はさておき、業務上はあってはならない。必ず、安全性を含めての性能としなければならない。このことは常識になって久しく、今さら私が言うと陳腐なほどである。

しかし、安全性とともに高めたはずの性能が、設計者の予想を越えた原因によって、安全性も巻き込んで崩れ去ってしまう出来事が、時折起きる。

安全性とともに高めたはずの性能は、その高度な安全確保技術を前提に、技術が低い時代に比べ危険性の尺度を変えている。つまり、安全確保が容易ならざる時代に危険性が高いとされていた事であっても、安全確保が容易な時代には危険性は低いとみなされる。※1

実に当たり前な事を私は述べたわけだが、これは、「安全性とともに高めたはずの性能が、設計者の予想を越えた原因によって、安全性も巻き込んで崩れ去ってしまう出来事」が起きた場合、安全性が低い時代には発生しえないタイプの災害を招く※2という現実の、重要な伏線と位置づけてよかろう。


1-2「ヒューマンエラーに関するシリーズ・コースを設ける目的」

さて、当コースは“ヒューマンエラー”に関するシリーズの最も基礎となるコースである。※3 なぜ、私はヒューマンエラーに関するシリーズを設けるのか? その理由は、ヒューマンエラーが、上述のようにして起きる災害における「予想を越えた原因」になり得るとの仮定に基づき、ヒューマンエラーに対する受講者の関心を特に組織運営の側面から刺激し、安全性が低い時代には発生しえないタイプの災害の防止に少しでもつなげたいと願うからである。

とても抽象的な言い回しとなったが、それは当コースを、特定の業界・業種に限定せず、ヒューマンエラーに絡んだ災害が起き得る業務全てを対象としたコースとしたいからである。

シリーズの一番に(ヒューマンエラーの)概念論を設定したのは、その概念を明確することによって、当学科内でのコース展開のみならず、受講者が自らの職場においてヒューマンエラーの考察をする際や仲間と論じる際、円滑になると確信するからである。

が、もちろん、ヒューマンエラーに関する説は私の他にも様々あり、たとえ私の説が他説と同一でないとしても、受講者としては他説を必ずしも否定する必要はない。受講者が携わる業務にとって有効なほうの説を採用するか、両者を総合して発展的な新説を築いて頂きたい。

ただし、当コースは、あくまでも組織運営学科のシリーズであり、それゆえ組織運営の観点からヒューマンエラーを論じる。そのぶん、認知心理学や行動科学、人間工学、安全工学等々の要素は少ない。ヒューマンエラーに関する諸説の多くは、組織運営の観点ではなくそれらの学問の観点から論じているであろうから、そのあたりの違いがあることを了解の上、他説と比較頂きたい。

後述により自然と明らかになっていくが、ともかく、ヒューマンエラーについて、定説として断定しながら論を展開していくには無理がある。無理を押し通せば、ヒューマンエラーの解明はかえって遠のいてしまう。

なお、何も当コースに限ったことではないが、コース記述中、私が断定的な言い回しをすることもあっても、それは「私の判断」という前提条件によって成り立つ「仮言判断※4」であると理解し、読み進めて頂きたい。


※1:
たとえば自動車が世に登場した頃には、時速40kmで走ることさえ、かなり危険だったかもしれない。しかし、走行性能があがった現代ではそう感じる人は少なかろう。もちろん危険性の尺度は走行性能のみならず走行条件によって異なるが、たとえば高速道路を200kmで走っている人が、法定速度を超えていることを認識していても、危険と感じないこともあり得るだろう。

※2:
たとえば高速道路を200kmで走っている車が追突事故を起こせば、玉突き事故により多数の死者を出す災害となる可能性がある。これは自動車が世に登場した頃には発生しえないタイプの災害である。

※3:
ただし、フリーWebカレッジ開講一番のコースとして、小説式eラーニング「ヒューマンエラー」をすでに立ち上げ済み。どちらから受講して頂いても構わない。


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